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「バースデーブルー」 が原因で自殺者が増えている!? 社会構造が原因か?それとも精神的な脆弱さが原因か?

誕生日の自殺、他の日の1.5倍 阪大チームの人口動態調査分析で明らかに

 誕生日に自殺する人は他の日の約1.5倍になることを、大阪大の松林哲也准教授(公衆衛生学)らのチームが、厚生労働省の人口動態調査データの分析で明らかにし、1日発表した。

 

 欧米では、記念日を期待通りに過ごせず孤独感などの心的ストレスが増え、自殺が増加するとする「誕生日ブルー」という仮説がある。松林准教授は「文化が違う日本でも同じ傾向が示された。自殺の恐れがある人の誕生日が近づいたら、周囲がいっそう注意、サポートをする必要がある」と話した。

 

 チームが1974年~2014年の人口動態調査データを分析した結果、誕生日に自殺した人は約4100人で、それ以外の日の平均約2700人の約1.5倍だった。交通事故や溺死、転落などによる死者数も誕生日に増える傾向があった。

誕生日の自殺、他の日の1.5倍  - SANSPO.COM(サンスポ)
誕生日前後の死亡リスクの増加傾向を明らかに  - CNET Japan

 

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誕生日に自殺が増える理由

誕生日は自分が生まれた特別な日だ。普通なら誰かに祝ってもらったり、おめでとうと言ってもらったり、プレゼントを貰ったりする日だ。それが誕生日の一般的なイメージだ。

 

だが、残念ながら、すべての人がそのイメージ通りの出来事が起き、幸せを感じられるわけではない。中にはそのイメージからかけ離れた誕生日を送る人もいる。その人数は決して少なくないと思う。

 

そんな誕生日の良いイメージからかけ離れた生活を送っている人の中に誕生日に自殺してしまう人がいるのではないかと思う。

 

想像してほしい。誰にも祝われず、誰にもおめでとうと言われず、誰にもプレゼントをもらえないところを。さらに自分の中には幸せな誕生日のイメージがあり、そういう誕生日を経験したことがある。そういう自分を想像してほしい。さらに自分の誕生日の日に会社の同僚が誕生日を祝われているところを目撃してしまったり、テレビの中で幸せな誕生日を送っている人を見てしまったところも想像してほしい。

 

どんな気持ちになっただろうか?きっとほどんどの人が暗い気持ちになったと思う。中には絶望的な気持ちになった人もいるかもしれない。

 

それは自然な気持ちだと思う。

 

人は多くの人が幸せな時間を送れるイベントがあるのに自分だけ幸せに送れないとき惨めな気持ちになる性質があるからだ。

 

たとえば学園祭のとき、自分以外の人が楽しそうに学園祭の準備をしている状況を想像していただきたい。この想像をしたほとんどの人が嫌な気持ちになったはずだ。仲間はずれにされているような気分になったはずだ。孤独感を感じたはずだ。

 

そんな嫌な気分になるのは、人にはそういう性質があるからだ。

 

もし、誕生日を祝うという習慣がない社会だったら、そういう性質は身につけなくてすんだだろう。つまり、その性質は誕生日を祝う社会に生まれたから身につけた性質なのだ。

 

残念ながら日本は誕生日を祝う習慣のある社会だ。だからバースディブルーを無くすことは不可能だ。

 

バースディブルーだけでなく、クリスマスにブルーになることも、バレンタインデーにブルーになることも、無くすことは不可能だ。「クリスマスをなくせ」「誕生日を祝う習慣をなくせ」「バレンタインをなくせ」という呪いの言葉も無くすのは不可能だ。それらの特別なイベントがなくならないかぎり。残念ながらそのイベントがなくなる可能性は限りなくゼロに近い。

 

つまり、バースディブルーもクリスマスブルーもバレンタインブルーも無くすことはほぼ不可能ということになる。

 

そんな残酷な社会の現実に耐え切れなくなった人が自殺をしてしまうのではないか?社会の残酷さ・理不尽さ・不公平さに負け、自殺する道を選んでしまうのではないか?そう僕は思う。

 

ある意味、バースディブルーで自殺する人は社会の不公平さの犠牲になったのではないかと思う。もし、社会が公平な社会だったら誕生日に自殺者など出るはずがない。だが、現実は残酷なまでに不公平だ。その不公平に負け、自殺してしまった。そう考えるとバースディブルーの人はこの社会の不公平さの犠牲者なのではないかと思う。

 

もちろん、不公平でない世界など存在しない。どこにいても必ずなんらかの不公平が必ず存在する。それは確かだ。

 

でも誕生日のように過剰なまでに幸せなイメージを人に植え付ける社会にも問題があるのではないか?クリスマスやバレンタインを過剰なまでに特別な日だとイメージさせる社会にも問題があると思う。そんなイメージを植えつけられれば、その特別な日に楽しいことなどひとつもない人は否応なしに敗北感を感じさせられるからだ。

 

特別な日に特別なことがない人は負け組み。ある種の人にそう思わせる社会は歪んでいる気がする。

 

でも、残念ながらそのゆがみは取り除けそうにない。そのゆがみが今の日本社会の構造に一部になってしまっているからだ。

 

否応なしに人に敗北感を与える社会。どう考えてもまともな社会ではない。

 

もっともこんなことを考える僕もまともではないのかもしれないが。

 

いずれにしても今の社会構造がバースディーブルーの原因・自殺者増加の原因になっていることは確かだ。

 

もちろん、社会の構造がバースディブルーの原因・自殺者増加原因のすべてというわけではない。ブルーになったり、自殺を選んだりする人の精神的脆さにも原因があると思う。

 

だが、彼らの精神的弱さだけを問題にするのはフェアではないと思う。社会構造にも原因がある以上、その原因も問題にする。それがフェアプレーだと僕は思う。

 

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